京大短歌21号

京大短歌21号を読みました。


1首選(2首のかたもおられます)

悪い人のまねをしてみる少年は花の名前に知らないふりして (田島千捺)
こめかみのそばで放電しはじめる一篇の詩に角でぶつかる (田島千捺)
いつまでも閉店セールと思ってた靴屋の解体(はじめての)骨格を見る (北虎叡人)
眼を伏せてタバコを吸うのがよく似合うあなたは生きる化石のようだ (川崎瑞季)
目覚めると雪国だったコンタクトレンズについた脂汚れの (古田海優)
妄想を摘み取り桃のピューレを作る夢から覚めて食パンを焼く (寺山雄介)
きみの心すずめのようだとつぜんに始まるドラムロールも含めて (濱田友郎)
鉄道が染めた小石にただ一個震え出す音迷子だろうか (飛雄馬亜)
すてきなふくらはぎの女の子になっていまのぼりはじめる歩道橋 (北村早紀)
きみじゃなくても(わたしじゃなくても)よかったがふたりで買って食べるドーナツ (牛尾今日子)
金髪の女の人の深爪に親しみ感じて今日は寝る (中澤詩風)
しきつめた花のかをり 梁さへ溢れ あなたは諱[いみな]を思ひ起こす (向大貴)
履きなれた靴の隙間が膨らんでいくような朝 学校へ行く (中山靖子)
学校を月光と打ちまちがえるひかりのなかで息むずかしい (橋爪志保)
留め紐のふいにほどけてふくらんだビニール傘だ ぼくは祈るよ (阿波野巧也)
雪の染みた靴から君が伸びてゐる そんな顔で笑ふやつがあるか (榊原紘)
戯れに花を買つたらへんてこな花言葉ばつか言つてくるやつ (榊原紘)
選ばれないことは嫌われないことと小川にかかった橋渡りゆく (松尾唯花)
待合室[まちあい]にひとつだけある置き傘と雪を見ている外に降る雪 (坂井ユリ)
コンクリが曇りの色をたたえては空の青さを遮っている (山田峰大)
小牧・長久手のあいだはやや遠く営業地域[エリア]の外にありし長久手 (廣野翔一)
職場よりPlaystation2[プレステツー]を持ち帰るやましいよなあ密輸のごとく (廣野翔一)
くらい廊下に這いつくばって泣くひかり あああのときの炎か、きみは (小林朗人)
昼月を的として登りゆくときに陸橋は一段ごとの受肉 (大森静佳)
高校の時の身体は反抗とKFCが詰められていた (駒井早貴)
過去はすべて終はつたあざみ、光から僕に手をのべてきて、払つた (藪内亮輔)
ぼくの夢は夢を言いよどまないこと窓いっぱいにマニキュアを塗る (笠木拓)
念仏をくちにしながらパラシュート菩薩部隊が降下[こうげ]してくる (吉岡太朗)
ヨーグルトに酸塊[すぐり]のジャムをまぜあわせ記憶の色に近づけてゆく (吉岡太朗)
八百万とはいうもので賽銭を投げるところがまだあったとは (三潴忠典)
歩いたらそこまで行けるものとしてたとえば宇宙センターがある (土岐友浩)
車道を走れば大型トラックに身は煽られる 福島からのだ (中島裕介)
草むらに花摘むごとくこの家のいづくにもある赤ペンつかふ (島田幸典)
賜[たまもの]に似て恥を得し歩みかな長き廊下を夕日が満たす (島田幸典)
関西のひかがみのやうな町を見る近鉄の滅茶ぼろい駅出て (林和清)


みどころが多く、OBとして誇りに思いました。

  • 吉川宏志特集がコツコツやられていて、手間暇かかっていて、羨ましく思った。
    • 集団でワークできて、その成果が傾聴に値するものであるのは、単純に感心した。
      • 世代は変わっても、京大短歌やなあ、という感じ
    • なかでは、『海雨』の北村さんの報告と、牛尾さんの全体のまとめを興味ぶかく読んだ。
    • 初期歌篇五十首もすばらしい。藪内さんの選歌ということで重みもある。
  • 阿波野さんの評論は、今年見た評論では最も素晴らしいものだった。この評論は、多くのひとに読まれてほしい。


以上です。





法橋ひらく『それはとても速くて永い』

それはとても速くて永い (新鋭短歌シリーズ)

それはとても速くて永い (新鋭短歌シリーズ)


春ごろいただきました。ありがとうございます。


10首選(〇1首選)


湯で割ったポカリスエット飲み干して発熱体として横たわる
半減期みたいなもんかとひとりごち不謹慎だと詫び入ることの
どうだっていいよそんなの終らない愚痴聞くときの爪先の負荷
ジーンズの裾を汚して雨の日は無声映画の主役のように
〇自意識が孤独を作る自意識をしばらく置いてデザート美味い
辞めてどうなる越してどうなる脳のなかしゃべってんのはほんとに俺か
デンマーク風オープンサンド見た目よりずっしりとくるこれは良いランチ
衝立のむこう詩的な会話だな社員証に秋の日は跳ねて
背の高いひとに生まれてみたかった西日のなかに消え残るから
ラストオーダー欲張りながらひとしきり頭皮のケアについて語った

  • 基本、上手い(10首めなど特に)
  • やや「綺麗系」に偏りはあるが(ふわふわ感はそれ由来かも)、例外的に語彙をとりこむことに貪欲だと感じた
    • 年若いトレンドは、語彙限定的なので
  • 男の身体性に自覚的
  • 認識の歌に特徴があって面白い。
    • いっぽうで説明が過剰なぶぶんがあり、すこし損をしているように思った。
    • 読者を信用しきれていないのかもしれない。


以上です。

岡井隆『銀色の馬の鬣』


5月4日に京都で批評会がありました。


10首選(☆一首選)


 相つぎて友逝く。
甲府すぎれば思ひ出す友熊本ときけば浮かび来顔のなかのきみ
タクシーで超える軽便鉄道の枕木むかしは歩いたんだが
起き直してある処までゆくまでに昼ちかくなる 不思議な爺だ
☆この辺に駐車し診療したむかしあのころも荒み切つてはいたが
詩歌にもメーキャップ効果は在るだらう A母音(エイぼいん)ゆたかに摺り込みたまへ
味覚また消えむとしつつ両の掌にチョコレートあまた。雨となる雪
わが妻とかはるがはるに浄めたる八事(やごと)の山の黒き墓あはれ
むかし豊田が挙母(ころも)と呼ばれゐしころの野を親友板倉と行きし憶(おも)ほゆ
音だけの言葉つて無い。金色の輝きだけの葉がないやうに
思ひがけず深いところに在る鏡一部始終を映してるぢやん

  • 老年の歌。記憶の歌や衰える肉体についての歌が多い。地名や飲食の扱いが独自。特に飲食は、医師としての視線があり、独自性が高い。
  • タイトルは、医師であり科学者である人物の釈明会見、についての一連から来ている。
    • 批評会ではここに踏み込むことができていなかった。
    • ここは、人間・岡井隆のいわば「プライド」の部分であるので、歌集を読むときにはずしてはいけないポイントである、と思う。
    • とはいえ、わかりにくい、というか、さらりとしているのも、また事実。
  • さらりとしている、というのが、私を含め、批評会出席者におけるひとつの共通理解であったように記憶する


以上です

歌集『声を聞きたい』(江戸雪)

声を聞きたい―江戸雪歌集 (塔21世紀叢書 第 254篇)

声を聞きたい―江戸雪歌集 (塔21世紀叢書 第 254篇)


先月頂きました。ありがとうございます。


10首選(☆一首選)


アーモンドタルトはさんで夕ぐれと夕ぐれの木のようにふたりは
ふらふらと春の埃にまぎれゆく たまごのような胸を広げて
きよらかに葡萄包めるセロファンはかがやきにけり朝の厨に
嘔吐するまでけんかして帰りくる子のジーンズをざぶり洗えり
たわたわとまぶしい朱欒(ざぼん)こえあげて泣いた私はきのうのわたし
「あんたなんか」と言われた日もある その声は椿の照葉のようにきれいで
アクセルをふみこむ前にボリュームをあげたり秋にねばる淀川
カーブするときに胸から湧く声を喉にちからをいれてとどめた
そんざいをけしてくしゃくしゃ歩いてるブルームーンおまえだけおまえだけ
☆わたしにはどうすることもできないよ山のむこうのむこうオレンジ


以下雑感

  • 川、水、光などの綺麗な言葉を軸に全体が展開
    • 読んでいてストレスかからないのがよい
    • 川が固有名詞化されているのが結構大きな変化かも
  • 植物名増える。わりとマイナーなのが出てる。あららぎぶり。ちょっとしたアクセント。
  • 個人的には「もうほとんど"資源"がない」と思っているリフレインの歌、に良歌が目立つ。
  • 「言葉」についての形而上な歌が大切に扱われている。ただ、イメージの共有は難しい。
  • 河野挽歌、とくに同性には相当きついところがあったことを思い出すなど。


以上です

歌集『リアス/椿』(梶原さい子)

歌集『リアス/椿』(梶原さい子)は先月いただきました。
ありがとうございました。


十首選(◎一首選)


尊敬するひとは誰かといふ問ひにゐないと答ふる面接練習
髯持てる遮光器土偶 ぽつぽつと頬にやさしき雨降るやうに
海中(わたなか)にも風はありたり吊されて柔くしなれる稚(をさな)き牡蠣は
◎お母さんお母さんと泣きながら車で行けるところまでを行く
配給のエビカツやつて来たりけり白身の中に赤身の混じる
布団また駄目になりたり板の間に拭いても拭いても沁みてくる潮
湯の内を浮き上がり来るまろき玉どの瞬間にひとは逝きしか
この米が誰かを傷つけるなんて青ずむ粒を擦りあはせをり
受け取ることの上手ではなき人々があらゆるものをいただく苦しみ
どこでもいい就職したいだんだんと平たきかほに子らはなりゆく


以下雑感

  • 第I部が「以前」、第II部が「以後」の構成。東日本大震災が時間を別けている歌集。
  • 震災詠の歌集としては、これがまずは「本命」ということになるかと思う。
    • ただし、この歌集の本質は、震災、ではなく、教師、である。より広い意味では、職業詠にある。
    • つまり、まず教師の日常があり、そこを震災が襲い、非日常へと転換し、そこからいろんなところで「余震」をみせつつふるえながら、それなりの日常へと回帰していく、その過程こそが本質である。
    • もちろん、「以後」の日常は「以前」のものとは異なる。
  • 相聞がやや弱い気がする。
  • 「お母さん」の歌は初出で衝撃を受けた記憶がある。
  • エビカツの歌は、凄い歌で、ある意味、塔の価値観の結実と言ってよい。


以上です。

浅虫温泉&三内丸山


塔の東北集会で、浅虫温泉三内丸山遺跡に行ってまいりました。
じつに愉快でした。
個人的には、この手の短歌イベントで、まともに朝食を食べれたのが、
多分生まれて初めてだったのが衝撃的でした。


写真は三内丸山の巨大建造物のリメイク。
高床式なのは、「地面に炉の痕跡がない」からだそうで、
不思議なロジックやね、と感心しました。
そのかわり、「屋根は諸説あって、揉めるからつけてない」んだそうです。
争わないのは東北式なのかもしれません。