京大短歌19号

京大短歌19号は先月受け取りました。
ありがとうございました。


1首選


爪の先をなぐさめている抱いたのは感情ではなく両膝小僧(中山靖子)
後部座席に月桂冠マルボロと男二人の将軍塚よ(大林桂)
立葵崩れたままの中庭に青い如雨露をかたむけてゐた(安達洸介)
だらしなく降る雪たちにマフラーを犯されながら街が好きです(阿波野巧也)
例えばさ君を恋しく思うときカンディンスキーの緑だ僕は(榊原尚子)
我が影はぐおんと縦に広がりて降りて来しものすべてに傷つく(廣野翔一)
海に雨燃え尽きて小夜ぬらぬらと街灯に照らされてひとりだ(小林朗人)
冷蔵庫なんにもなくて天かすを食べる 寝ないで しぬの がこわい(朝永ミルチ)
君の手は冷たいだろうたくさんの花かきわけつつ怖くてさわれず(駒井早貴)
暖房のきかない部屋にうつぶせて魚拓にされてしまいたい夜(坂井ユリ)
からっぽを容れてわたしは歩くのだ光の棘を吐く噴水へ(大森静佳)
花の眼窩に静電気生れわたくしは記憶をひとつづつ殺したい(藪内亮輔)
貝類は解かれ巻かれ幾億の世代の果ての今朝髪を梳く(笠木拓)
裏の裏は表の筈でエレベーターの「閉じる」ボタンを連打している(三潴忠典)
少年の世界のすべてではないが秋の野山が色づいていく(土岐友浩)
グレーテルは月見バーガー、ヘンゼルはソーセージエッグマフィンを好む(中島裕介)
抗生剤はみかんのかをり水に溶く父の足下に子は正座(おちん)せり(黒瀬珂瀾)
階段をしずかに音させ妻降り来われはうにうに歌を作れる(永田淳)
米原を過ぎししばらくの風景を雑兵(ざふひやう)の眼をもちて眺めつ(島田幸典)
死んでまで歌を詠むなよぽあぽあのすすきの間から顔のぞかせて(林和清)
訪ねあてし小さなホテルは狼を庭に飼いたりアメリカの夜(中津昌子)
四川料理を水にまぶして食べている暑さも辛さも飲み込みながら(安森敏隆)


作品について

  • たくさんひとが居るので素晴らしい。
    • 有名なひととまだ有名じゃないひとが混じっているのが面白い。
  • まだ有名ではないひとでは、坂井さんの歌が特に良かった。直観的な言葉ですいませんが、ありがちなテーマに対してふっくらした言葉選びが図抜けている。
  • あとは、土岐さんの歌が、変化していると感じて驚いた。脂が抜けたというべきなのか。中井久夫は私も好きですが、精神科医南木佳士とか、伝統的に妙に文藝寄りなので、今後はその系譜に連なっていかれるのだろうと考えると嬉しい。
  • 有名なひとでは、林さんの歌とエッセイが抜群に面白い。しっとり安定感あっさり風味で堪能した。


評論について

  • 歌会記、面白い。島田さんや棚木さんがいたときはかなりきつかったらしい。酒はわりと飲んでたなあ。
  • 「短歌は衰退しました」は、ラノベに有価値が前提なのが弱いのではないか。『ウタカイ』は読んだんですが、歌が弱かった。個人的には、短歌と他のコラボでは、小説でも写真でも、短歌が負けてしまうと考えている。百人一首くらいの強度がないと難しいのかな、と。でも句会をしていた『美濃牛』は良い出来だったので、絶望することはない。
  • 「ひとのこころをたねとして」は面白かった。ただ、子規-万葉-アララギのラインに対して古今を持ってくるのはやや図式的。例えば、新古今では駄目なのか。古今の「価値」は「新しい」のか、とは思いました。
  • 「序詞(万葉集)に関するメモ」は丁寧。タイプAとかBとかではなくて、有心の序と無心の序ってきちんと使ったほうが良かったかも。
  • 「金星手紙拾遺」は評論というよりエッセイとして楽しく読んだ。新本格の作中作みたいな雰囲気。