『海に帰る日』(ジョン・バンヴィル)


海に帰る日 (新潮クレスト・ブックス)

海に帰る日 (新潮クレスト・ブックス)


2005年のブッカー賞。記憶の物語。


妻を失い年老いた「わたし」は、少年の日を過ごしたアイルランドの海辺の町へと戻り、
具体的に記憶のなかへ帰ろうとしている。
そのさなか、夏の海辺での少年の日々の思い出と癌で失った老いた妻との最後の日々の思い出を
とりとめもなく繰り返しながら進行する「わたし」の一人語りは、
美術史研究家であるという背景に、特にボナール*1のイメージをもって綴られていく。
最近邦訳された同作者による『バーチウッド』が悪夢だとするならば本作は白昼夢の趣であり、
少年時の"性への目覚め"と老年時の"死への接近"の比較というベタな構造は
ストーリー・ラインの切り替えの妙と文章力によって単純さを免れている。
ラストに施されたささやかな「叙述トリック」がかえって深い読後感を残すのは、
起伏の少なさこそを読ませるといってよい職人芸の賜物だろう。


実にブッカー賞らしい作品。バンヴィルの作品は短いわりに密度が高く、今回も長く堪能できました。