文明、アッツ島玉砕直後の所感(1943.7)

△現在日本國民は誰も誰も平時の仕事に比べて何割かを加重して皆報國の誠を致してをる。中には我々の想像するよりもはるかに重い仕事に、日々耐へて居るといふことも聞いた。つまり、全てが戰ひ勝たむがためであって、それ以外のことは存在する餘地がない。人によつては文學は立派なものであらうけれども、文學の入る餘地も實はないのだという見方を述べる向きもある。私はそれもその通りであらうと思ふ。然し一面この加重されてゆく仕事の間にあつて文學、少なくとも短歌に對する關心が次第に高められてをるをいふ事實も私は事實として認めて居る。短歌を愛讀し、愛讀するだけでは足りずに遂に自ら短歌を作らうとされてをる人々は日に日に多きを加へてをる。わたしはさういふ人は職責を怠つて短歌を玩んでゐるとは思はない。恐らくはげしい仕事に耐へる身心に新しい活力を與へるといふか、日々の銘々の仕事の眞の意義を見出し、新しい鼓舞を加える機縁として、多數の中の少數がこの短歌の世界に入り來られるものと私は信じてをる。私はさう信ずる多くの事例に接して居るからである。また私はさう思へばこそ戰力増強以外の事の認め難い現在に於ても、なほ短歌存立の據り所を失はないと信じて居る。私はそれを理論づけ、系統化して諸君に説明する術を知らないが、會員諸君は私の信念を私以上の熱意を以て同感出來る人々であることを知つて居る。どうか相共にこの信念の下に今後の事に處して行きたいと思ふ。

ある種の真摯さは疑いようがない。が、11月になると論調に微妙かつ重大な変更が加わるのであった。