歌集『ナナメヒコ』(村松建彦)&詩歌文学館館報『詩歌の森』v.60

歌集『ナナメヒコ』(村松建彦)は先月初めにいただきました。
ありがとうございました。


10首選


身をもって事物を測る尺取り虫こんくらいか・う・こんくらいか・う
あまりにも月しろしろき道ゆえにいたちのおやじ草間にたじろぐ
髪の毛のうすき形が兄弟のあかしなりけり念仏唱和す
この年の司馬・丸山よりも寂しけれ大藪春彦逝きたることの
みっつほど雲のあいだに流れたる星をよろこび観察終わり
くたびれた子供のままで年を食いとんと太鼓のひとつも鳴らず
結婚の理由を聞かれ答えおり娯楽の欠しき時代なりせば
週末に紙おむつを買う男性はビールも買うとデータ示せり
むらさきの匂いを残しテーブルの皿に葡萄の骨が重なる
煙草代をミルク代へとふりかえしあの時あたりに大勢きまる

  • 平明な歌で狂歌風味の歌が多い。
  • 荷風」の一連が良かった。
  • 引用九首目「葡萄の骨」など色気がたまにあるのが面白い。


詩歌文学館館報『詩歌の森』60号で、川野里子さんが『地球光』について触れてくださっている。
ありがとうございます。

 田中濯の『地球光』は、文体としては未完成を感じさせる。だが、同時に若者の屈折した思いがそのまま掴んだかのような言葉の息づきが印象的で独特の魅力も備えている。
  ぎざぎざが切ったそばから生えてくる缶詰ににせの金色ひかる
  ポスドクは「派遣」に過ぎずさびしかる肉欲などもやはり備えて
 社会に身の置き場を見いだせない若者の心情は啄木以来のテーマだが、田中の歌が訴えをもつのは、啄木のような叙情性さえ疑うところから出発した気配があるからだろう。