『盛岡さわや書店奮戦記』

『盛岡さわや書店奮戦記』はインタビュー集。
傑作。


伊藤清彦という「カリスマ書店員」が東京の書店で修行を積み、
故郷の岩手に帰ってきてその辺の普通の本屋だった「さわや書店」を
ラクルに変貌させたいきさつを述べたもの。


本の内容を述べるより、私がさわやさんにどう出会ったかを
書いたほうがよいと思うので、
そちらを書く。


東京にいるときは、東大生協駒場店と渋谷ブックファーストを根城にし、
新宿紀伊国屋と池袋ジュンク堂に遊びにいき、
年200冊の本と300冊のマンガを買っていた。
そのうちだいたい九割を読んでいる。
もちろんラノベなんか読みませんよ。


そんな私が盛岡に来ることになり、一番不安に駆られたのは本屋のことだった。
最悪アマゾンのみに頼らざるを得ないと覚悟を決めていたが、
ジュンク堂を発見して、一息ついた。
とりあえず数だけはあるので、始めの半年はそこに通っていた。


ある日、某ラーメン屋が旨いという話を聞き、食べにいった帰りに、
そのビルの一・二階にある本屋にふらりとはいってみた。
全く期待していなかった。
しかし、ざっと見回ってみたら、何かが違ったのである。
何かがおかしい。
本が「当たって」くる。マトモな本が多いし、腐った本が少ないし、
売れ筋のアホ読者向けの本(エロ本相当)もバランスよく置いてある。


頭をひねりながら、外文棚を見てみた。
本屋のレベルは外文(外国文学)棚でわかるというのが持論の私だ。
俗に外文初版三千部という。外文単行本は普通の本屋にはない。
で、見てみると、これが妙だ。
新潮クレストが基本新しい順に、むかし売れたやつもまぎれて適度な量ある。
こっそり残雪とかガルシア=マルケスとか非英米系がまぎれている。
白水社がありみすず書房が少しだがある。それに国書刊行会がある。国書刊行会だぜ?
そしてなぜかとなりにシドニィ・シェルダンがある。


動揺した私は詩歌棚を覗いて見た。
実は、東京の本屋でもまともな詩歌棚をもつ本屋は、
いまはなき池袋リブロの「ぽえむぱろうる」しか存在しなかった。
あとはどんな大きな書店でもゴミ同然の扱いしか受けていない棚である。
さて。
ふむ、さすがに短歌は貧弱だ(短歌作っているので辛いのです)。俳句もこんなもんだろうね。
だが詩は、これはわりと健闘しているのではないか?
少なくとも、ある種の愛情が注がれているのは伝わる。


私はその後文庫棚を吟味して回り、ここは異常だと結論した。
盛岡みたいな田舎にこの規模でこんな本屋が存在するのはありえない。
絶対におかしい。
私にとっての「町の本屋さん」ナンバーワンは京都の三月書房(と少し落ちて恵文社)だが、
あれは京都だから成立する特異点である。
ここはなんなんだろう。


その後、まるで無視していた家の近所のフェザン店にいってみた。
駅付きの本屋なので、雑誌とマンガと文庫新刊に力を入れているが、
意地のようにまともな棚が狭い店内にきっちりつめられてある。


見事なり!


深く感服した私であった。
のちに盛岡の「さわや書店」は有名、という話を聞いてさもありなん、と思った。
というわけで、今は本の七割はさわやさんで買っている。
ジュンク堂に行くのは映画を見に行ったかえりとマイナーマンガを買うときぐらい。
どうしてもないのはアマゾン、という態勢である。
これで上手く回るので文句はない。盛岡で良かった。


あと注文をつけるなら、
そうだなあ、さわやフェザンは最近サブカル棚、手抜いてない?


盛岡さわや書店奮戦記―出版人に聞く〈2〉 (出版人に聞く 2)

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