『京大短歌17号』

京大短歌17号は合同歌集。
現役生とOB・OGの歌およびエッセイ、幾分の評論からなる。
表紙はシンプルで私好み。


一首選


隣人の感情のまま秋風は煉瓦造りにしんと寄り添い(廣野翔一)
理不尽な寒さをコートに抱き込んで嫌いな人の口笛を聴く(小林朗人)
玄関に猫のちまりと座ってて迎えた主人はくしゃみを一つ(巴長春)
冬空の星の数ほど永らえてほしい 父の声のかぼそさ(延紀代子)
歯をあてた場所からやがて腐りゆく林檎のような言葉告げたり(大森静佳)
たましひはいづこに在りや一日(いちじつ)の緑茶放置の底の濃縮(薮内亮輔)
僕は風ではまだなくてマフラーの毛先の種子をつまんで落とす(笠木拓)
 京都、左岸にて
この川は記憶を甘やかす川と雪柳もうすこしだけ見てる(吉岡太朗)
息をする音だけを聞き分けて春の夜道を歩いて帰る(矢頭由衣)
秋風がまた一枚の透明を重ねて木々は身震いをする(三潴忠典)
コピー機の足りない色に紫陽花はかすんでここに海があったの?(吉田竜宇)
元彼と過去をゆっくり掘り起こすチキンをナイフの背で刻みつつ(下澤静香)
しんとした教室の隅で読んでいる『悲しき熱帯』悲しい部分(川島信敬)
耐えられるかわからないまま家を出て帰ってくるためだけに耐え抜く(大森琴世)
新月や大学院に戻る気がないこともなく書架のあふれる(小島一記)
ふるさとの母より届く赤りんご夫となった人とわけあう(川瀬春奈)
 二〇一〇年八月一八日
du(君)なれど「君」とはついにならざりき ドイツ語でしか悼めぬ友よ(片柳香織)
やめ方が卑怯と言はるる日がやがてわれにも来むか来ぬか来るなり(澤村斉美)
クレームをうまくさばけてはいけないと切り泥みおり午後の電話を(永田淳)
性愛の砂洲に築きし城ひとつそれは歴史に書かないでくれ(黒瀬珂瀾)
 レイナルド・アレナス『めくるめく世界』
エイズ禍が米大陸を去りてのち二十年過ぐ彼は死にたり(田中濯)
 NZふかく屈める文字ならん
地震だとひくくつぶやく父の声家々に夏の影がひしゃげて(棚木恒寿)
人生の無目的性について アカペラは冬のモールにすきとおりつつ(中津昌子)
窓際を選びてひとは坐りしかあたかも窓に選ばれしごと(島田幸典)
音漏れのはげしき少年音漏れのほかになんにもなくなりて時雨(林和清)
首剪られさらされしままの弟子もおりヤコブと思うルーアン教会(安森敏隆)

  • 個人的には島田幸典の一連とエッセイが、すぐれた挽歌である、と思った。
  • 大森静佳の評論は大口玲子を扱ったもの。個人的には、「完成度低め」として退けられることの多い『東北』後半をもう少し丁寧に読んで欲しかったと思った。
  • 薮内亮輔の評論は、短歌の「統一理論」を抽出せんとする野心的な作品だが、昔の評論を意識しすぎてやや雑になったか。「二重螺旋」などに拘らないでもいいのではないかと思った。サイエンスと文学は違いますからね。
  • 「企画 ある往復書簡」は、えーと、その、あの、ちょっと恥ずかしいかなあ。


以上でございます。大森さん、お疲れさまでした。