『斉藤茂吉』

斉藤茂吉』(品田悦一)は評伝。
良書。皆読もうぜ。


本書は茂吉の赤子時代から書き起こした評伝ではなく、
茂吉が「万葉集」に関わった時代にスポットを当てた
変則的評伝である。
作者の品田は万葉集の研究者であり、
本来は、万葉集が明治以降の大日本帝国建国過程において如何なる役割を果たしてきたのか、
というテーマを抱えているがための著作である。


そう、茂吉こそは、第二次大戦において、短歌をもって臣民を鼓舞した「偉大」な歌人である。
国民歌人、民族歌人斉藤茂吉。彼は常にそう認識されていた。
その「虚構」を品田は丁寧に解きほぐす。
さまざまなエピソードが語られ、読者はいちいち納得する。
結社アララギ内の権力の移行過程も、口ごもることなく、語られる。
最終的には、「土屋幕府」と化したアララギを、しかし茂吉は離れない。
いや、茂吉に歌を本意として活動できた、まとまった時間がはたしてあったのか?
という疑問すら湧く記述に、私はうろたえたのである。


最大の問題は、茂吉の歌集の成立過程である。
品田は第一歌集『赤光』、第二歌集『あらたま』については
多くのページを割く。
しかし、長崎以降、留学および帰国後については、
戦時中を除いては言を略す。


詳細は省くが、品田は第12歌集である『寒雲』を
実質上の第三歌集であると、さりげなく、看破している。


品田の著述を眺めると、本質的な茂吉の歌集の変遷は
遺歌集を含め17ある茂吉の歌集は結局のところ、
『赤光』→『寒雲』→『白き山』に尽きる、
のではないかという結論に至る(らざるをえない)。
そしてそれは、短歌の実作者の私の眼からみても、極めて妥当な解釈となる。


個人的なことを述べれば、私は一度短歌を辞めた人間である。
そして、茂吉もおなじく、サイエンスに魅入られたがため、
歌を一度捨てた人間のように思われる。
しかし、時代のほうがむしろ、茂吉が短歌を失うことを許さなかった、と
そのように本書を読んだあとでは思えるのである。


さらにいえば、茂吉と文明の関係は興味深い。
私には、どちらの心情も、わかる。
文明は戦後、耄碌した茂吉が「うまく」死ぬことを、何よりも願っていたであろう。
戦争のケ、を茂吉に引き受けさせたうえで、
第二芸術論の暴論がまかり通るなかで、
戦後のハレを独占しようとしたのである。
そして、それは成功した。


こうした沼の底の出来事を睥睨しつつ、
前衛短歌は成立したのである。


しかし、戦後は3.11で終わった。
われわれは、少なくとも半身を、未知の領域に浸すべきであろう。
茂吉その他を、置き去りにすべき時代がやってきたのである。


斎藤茂吉―あかあかと一本の道とほりたり (ミネルヴァ日本評伝選)

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