日本の鬼

日本の鬼  日本文化探求の視角 (講談社学術文庫)

日本の鬼 日本文化探求の視角 (講談社学術文庫)

『日本の鬼』(近藤喜博)は文化人類学書。


最近こういうのにはまってます。
人生何度目かのビッグウェーブが来てます。
この本は、日本の鬼、というタイトルなのだが、
鬼の話というよりは、近藤による雑学集といった塩梅で、
うしろのほうになればなるほど鬼は関係なくなる。
だが、面白いのならなんでもよいのである。


それで、皆様には、何か根本的に現代日本人の暗部にも通じる話を
ご紹介したいと思う。
いわゆる「絵姿女房」の異聞である。


いちおう流布している「絵姿女房」のだいたいのあらすじは次のようなものである。

貧乏なオッサンが何を間違えたか超美人のヨメをもらい、仕事に手がつかなくなってしまう。
そこでヨメは自分を絵に描かせて、たんぼにこれもっていってヨメが傍にいると思って仕事してくれ、と頼む。
オッサンはそのとおりにしていたら、通りがかった権力者にその絵を見られ、
権力者はヨメをオッサンから略奪してしまう。
怒ったオッサンは、いろいろ頑張ったり神仏の助けがあったりして、
ついにヨメを奪い返し、ついでに権力者を叩き落して自分がリッチになったのでした。


『日本の鬼』で紹介されている話は、貴船神社の縁起で「神道物語集」という本に入っている、という。
桓武帝治下の話らしい。

主人公は本三位中将定平という人物である。
定平は名人が扇に描いた美人の絵に心奪われ、
現実にこのような美女はおらぬものかと三千人の美女をみたが、ひとりもいない。
みかねた法皇が、仏神に祈るのはどうか、と助言したので、
清水寺に二十七日籠ると、夢のお告げで鞍馬に行け、と言われた。
そこで鞍馬で三十七日籠ると


そも/\、なんぢは、ふしぎなる事、申物かな、あるひは、人のおやの、をしむこ、あるひは、
ぬしある、ねうばうなどの、やうなる事こそ、恋し、つらしとはいへ、まことにかなはぬこひなれば、
いかゞして、かなふべきぞや、しかれ共、なんぢが、あまりに申事、ふびんなれば、まづ、
ひきあはせすべきなり、ゆくすゑの事は、なんぢが、はからひなり、しやうめんの、ひがしにわきの、
しやうじを、あけてみよ


とお告げがあったので、障子をあけるとなんと、扇の美女を遥かに超える絶世の美女がそこにいた。
定平は当然口説きにかかるが、美女は


何事を仰候ぞや、我は、き国と申て、くらまのをくに、そうじやうがたに、うしとらにあたりて、
いはやあり、それより、みちあり、きこくと申は、おにの国なり、神といふ事もなく、
ほとけといふ事もなし、まして、人げんといふ事もなく、あさましき、くになり


と言って断る。自分は鬼なのです、と。
定平はこれまた当然のように鬼でもかまわんといって鬼の国についていく。
ところがこの鬼美女は鬼大王の命令で食糧の人間を攫いに人間界に来ていたのだった。
なので、鬼美女(妹御前)は定平を鬼大王に差し出さなくてはならないのだが、
情が移ってしまい、それができない。
結局、定平と妹御前は来世で契ると約束し、妹御前は鬼大王に食われ、定平は人間界へ戻るのであった。


人間界に戻った定平は赤子を拾うが、
それが実は妹御前の生まれ変わりであり、
育つのを待って見事に契る。
それを知った鬼大王は激怒し、千の鬼軍団で人間界に攻め入ろうとするが、
神仏が法皇の夢に現れこの謀り事はとん挫する。
その後、卜占により「年に五度、鬼を五体調伏して、鬼を喰らう」とよい、
ということになり、これが五節句の始まりである。
定平と妹御前は貴船大明神のご加護により、幸せにくらしました。


以上である。
私はこれを読んだときに呆然とした。ナニコレ?????


まず定平は、いわゆる、二次元のほうが三次元よりいい、という人々とまるでかわらない。
日本人の二次元好きは筋金入りであり、もうこれをなんとかすることはあきらめたほうがいい、と思った。
鞍馬の神に詣でれば、二次元が三次元になることもあるかと思うので、
そういう嗜好のある向きは絶対にお参りに行くべきである。37日祈り続けなけらばならないが。


鬼の話もおかしい。女が食われて男は逃げる。
しかも男は女のうまれかわりを育てて結局女を手に入れる。
これ、紫上の元ネタじゃねえの?源氏より昔の話だもんなあ。紫式部パクった、いやリスペクトしたか。


そして鬼軍団登場にワクテカであるが、
これは突然バトルマンガに変貌するジャンプ系マンガを思わせる堂々の王道ぶりであり素晴らしい。
しかし、その解決策が斜め上だ。鬼を捕まえて食うって。それじゃ鬼と一緒じゃん。
しかもそれが五節句(1/7,3/3,5/5,7/7,9/9)の由来なんて初めて知ったよ!
神社本庁のHPにもそんなこと書いてないぞ。マジかよ。
そもそもこの鬼が、いわゆる、東北などの「まつろわぬ民」だとしたら、
この縁起話はとてつもなく恐ろしいものに変貌する。古代王権、怖すぎるぜ。


で、定平はハッピーエンドである。清々しいご都合主義に感涙である。


なにかいろんな神話がカオスな状態になっている話をご紹介した。
本書『日本の鬼』には、こういう愉快な話がたくさん詰まっている。
浮世をいっとき忘れること請け合いです。