ガンダムサンダーボルトとマンガの身体表現


このマンガは傑作です。
予測可能な範囲内では、あらゆる意味でほぼ完璧で、
クライマックスやラストにオリジナリティを出すことができれば、
時代を超えるマスターピースになります。


ここでは、少し別の話題。
サンダーボルトの主人公の一人は、身体障害者で、義足という設定です。
彼は地上戦で両足を失い、兵士としては「無価値」になったものの、
軍の「リユース・プロジェクト」により、特殊な義足を付けることによりモビルスーツパイロットとなり、
エース・スナイパーとして君臨することになります。


この設定は、フィクションとしてもぎりぎりです。
軍隊の非人間性を逆手にとっており、その酷薄さが逆転して物語にリアリティや緊迫感を付与しています。
これは、「ガンダム」の伝統があってはじめて、ストレートに前面に出せる設定です。
しかし、マンガにおいては、この類の表現自体は、密かに、あるいは露に、実は連綿と存在しております。
それは、おそらくタブーであることに加え、視覚表現が個性の発現となるマンガにおいては、
マンガ家の想像力を掻き立ててやまないものであるためでしょう。


たとえば、手塚治虫の『どろろ』がひとつのオリジナルとして挙げられます。

どろろ (第1巻) (Sunday comics)

どろろ (第1巻) (Sunday comics)

白土三平の『カムイ伝』にもとても多いです。
カムイ伝 (1) (小学館文庫)

カムイ伝 (1) (小学館文庫)

あるいは、冨樫義博の『ハンター×ハンター』や三浦建太郎の『ベルセルク』が現在連載のマンガでは挙げられます。
特に前者は、執拗に、手足の喪失を描写しています。主人公ですら、二回も腕を失いました。
「それ」は、画に衝撃力を付加します。
肉体の「部分」の喪失描写では、たとえば『寄生獣』が未踏の領域を切り開きました。


もう少し述べるならば、
人間が「脳」だけになっている、という描写は、多くのSFで「好まれる」ものですが、
実際のところ、それは「マイルド」な描写です。
なぜなら、実際に身体を失う「過程」が描写されないからです。
いつのまにか「脳だけ」になっているよりも、指一本を実際に失う過程の描写のほうが、
はるかに読者に衝撃を与え、残酷なのです。
それが描写のリアリティです。


結論をいえば、バトルもの、に類されるマンガの歴史は「身体喪失描写」の発展の歴史でもあります。
それは表立って語られることはなく、存在はするものの、隠れていました。
サンダーボルトはおそらく、それを正面から認めて「使い尽くそう」としている最初のマンガです。
それは、率直にいって、危うく暗いものです。
それでも、表現のエッジであるし、物語のエッジでもあります。
実は、現在の連載で、物語はさらにグロテスクな方向に向かっています。
傷んだ肉体や死体を描かない「奇麗な」戦争の描写に終始していた「ガンダム」が、
どうやら「現実」の戦争に追い付き、ある意味それをカリカチュアライズまでしています。


本作は、たくさんの領域で野心的な傑作ですが、
本稿記述の点でも稀有です。
私は2012年No.1の作品だと考えています。