2013年震災・原発詠の動向予測

総合誌12月号1月号や年鑑その他をざっと読みまして、それはもちろん面白かったわけですが、しかしなにかこう、もやもやしたものが残りました。これを解消するには、自分で書くのが早いということで、詩客時評年末特別「いた感」版を発表します。詩客で書けばいいじゃねえか、という声は聞こえてくるのですが、実は「文章を使い回す」部分がありまして、フレッシュじゃないので、ここに書く次第です。お題は「2013年震災・原発詠の動向予測」です。


 まずは全体のバックグラウンドから参ります。以下に引用する文章は、半年ほど前に八千字書いた揚句、某所でボツにされた評論の断片です。日付などずれもありますが、基本的な認識は変化していないので、ここに若干の加筆・修正のうえ載せます。

短歌において、震災・原発災害詠の担い手はおおむね以下のような変遷をした、と考えられる。まずは、震災についての「素人の短歌」が歌壇を席巻した。それらはおもに新聞歌壇でなされた。彼らの、具体的体験に基づいた歌は、たとえ技術的に劣るところがあったとしても、それを補うリアリティを獲得しており、それが人々の胸を打ったのである。また、技術的に未熟であることをもって、これらの歌群に批判を加えることは極めて困難であった。それは、人間の礼儀として不可能であったとすらいえる。ただ、「プロ」の側は、たとえそのような条件であったとしても、その矜持にかけて、批判を加えるべきであったと私は考えている。これは今後、ひとつの汚点として顧みられることになるかもしれない。


次に、いわゆる「プロ」が震災詠を短歌雑誌上に発表し始めた。これは、短歌雑誌のみならず、紙媒体の根源的な弱点であるが、事件に即時的に応答ができない、という性質がこのような状況を作ったともいえる。事件のほぼ全てが終わったあとで掲載されている短歌には、残念ながら現実と完全なずれがあった。現状として、社会詠・時事詠的なものは、「時間をおいてしか発表されえない」ということを前提としておこなわれなければならない。したがって、発想を逆転させ、「より客観的かつ大局的な表現」を出すことが、即座に応答した人々を上回るためのほとんど唯一の手段となる。だが、今回の震災・原発詠について、その立場はほとんど無効であった。なぜならば、実際のリアルの問題が、途中から震災・津波の被害から、原発問題に移り変ったためである。原発問題自体、それを題材に短歌を作るためには非常に難しい問題を抱えている。それは主に二つの難点を抱えているといえる。まずは科学的な基礎知識をもっているか、ということが問題に挙げられる。核分裂反応とその利用について、自ら発言できるだけの知的バックグラウンドを持つには、おそらくは最低でも高校物理を学んである必要がある。シーベルトとベクレルの違いがいまだにわかっていない人々も多い。また、この「わからなさ」自体を歌にして恥じることがない人々も存在した。まずはこの点で、かなりの歌がふるいにかけられたことは事実である。


もうひとつは政治的な問題である。現在でも、原発についてどのような態度を取るか、ということに関しては、世論も割れているし、難しい問題ではある。ただし、現代短歌の問題として、あるいは戦後日本の一般的な問題として、異なる意見があっても認め合い共存する、という考え、あるいはそれを実行するためのノウハウが欠けていたことが悪いほうに作用した、とも考えられる。例えば、私が文藝と政治の関わりについて記憶があるのは、昭和天皇が死去したときの話題、イラククウェート侵攻に対して多国籍軍が結成されそれに自衛隊が参加したときの話題、911の話題、イラク戦争の話題、おおむねこのようなところである。大抵の場合、短歌においては、これらの問題に対しては以下のような対応がとられてきた。まず、少数者が「反対」の狼煙を上げる。それは、日本国憲法の建前にのっとれば、基本的に妥当、と判断されてもよい「反対」の「意見」である。それに対して、歌壇の大部分は歌を作って反論ないしはそれに相当する行動をおこさない。沈黙を守り眺めている。ただし、少数の「反対」者の、発言力はやや増す。沈黙するひとびとのロジックは単純である。それは、こういった物事は歌にするようなことではない、というものである。この場合、沈黙は保身とみなされることはなかった。なぜならば、発言している人間自体が、圧倒的に少ないためである。時事に関わるのは少数でよい、という暗黙の了解があったのではないか、と考える。以上が政治的な問題である。それだからこそ、原子炉が三つも崩壊したという状況、全ての日本人がなんらかの個人的決断を下さざるを得ないような状況が訪れてしまったとき(これについては意見がある向きも多いだろう)、対応できる歌人は極めて少なかった。ほとんどの歌人は、どのように対応すべきかの心構え、ないしはノウハウを持っておらず、「伝統的な沈黙」の立場を取らざるを得なかったのである。以上、この判断は私個人のものであり、もちろん、原発問題についても「歌にすべきものとは思わない」「そういうことはあまり歌にしたいと思わない」「こういうことを歌うのは私のキャラに合わない」といった立場を取ることは可能である。だが、私は基本的に、現状でこのような立場をとるにはもっと積極的なロジックを展開するべきだと考えている。端的にいえば、そのような「沈黙を守る立場」は無責任である。また、そのような批判はなされてもよい、と私は考えている。


「プロ」の震災・原発詠が短歌雑誌上に載り始め、それは現在でも継続しているわけだが、これを第二期である、と定義したい。つまり、「素人」の歌が膨大に登場した最初期を第一期と定義しているのである。そして、2012.6現在は、この第二期と「第三期」が並立している状態である、とも定義したい。第三期とは、出版される歌集において、震災・原発詠が登場しはじめた時期、を意味する。歌集において、最初に震災・原発詠を収録した歌人は田中拓也であり、歌集『雲鳥』であった。2011.11には一般に公開されており、そのタイムラグは約八か月であった。


 「机の下に頭隠せ」と叫びおり笑う生徒を叱り飛ばして
 七十二名の命がじんと冷えてゆく体育館の暗闇の中
 「私、体育会系ですから」とスクワット始める教師おりたり


田中は最終部の第VI部において、311時の震災の様子を長い連作で活写している。田中は教師であり、被災時には学校にいた。その展開にはリアリティがあり、震災直後に溢れた「素人」の短歌と比べ、技術的にも各段に優れている。被災の活写、というカテゴリでみるのならば、これ以上は望めないだろう。だが、震災・原発詠の最も根源的な特徴は、事態・状況の活写にあるのではなく、それに対して個人としてどう判断し、どのように立ち向かうか、ということにあると私は考えている。その意味では、田中の功績は限定されざるを得ない。田中は、歌集を出した時点で、既に時代に遅れてしまっていた、といえるかもしれない。例えば、2011年11月24日、東日本大震災復興対策本部は、震災による避難者数を32万8903人と発表している。このうち、原発事故による避難者は、確定数は出せないものの、十万人以上存在することは確実である。もはや、状況はひとびとの生存権をどうするか、「原発難民」に対する補償・対策をどうするか、ということに力点は移っていた。全く原発詠を歌集に混ぜてくることができなかったのは、実に残念なことであった。


さて、出版された歌集に震災・原発詠が入り始めた「第三期」は現在も継続しており、その中でも優れた歌集が生まれてきている。私が強く推しておきたいのは大口玲子『トリサンナイタ』である。周知の通り、大口は仙台で被災し、原発から漏れる放射能を恐れ、幼子をつれて九州に避難した。また、夫は仙台に残したままである。これは、被災地ではごくありふれた家族離散の物語であり、その悲しみ・屈辱・怒り・諦念が、極めて正確にかつポエジーをもって表現されている。現状のところ、この第三期を代表する歌集は『トリサンナイタ』以外にはない、とも断言できる。だが、本稿では『トリサンナイタ』について語ることはここまでにしたい。なぜならば、これは優れたマスターピースであり、そのように取り扱うべきで、本稿の目的とは離れているからである。前置きが長くなってしまったが、本稿の目的は、「第三期」の歌集に一般的に見られる要素を炙り出すこと、またはなぜこれらの歌集が『トリサンナイタ』の領域にまで到達することができなかったのか、を問うことにある。

実際の「評論」はここからようやく本題に入るわけで、いわば前ふりです。当然、「期」の判断は変わっております。現在(2012.12)は、完全に第三期の真っただ中にあると考えており、さらに「第四期」が始まっている、と考えています。この「第四期」について語ることが本稿の目的ですが、それより前に、第三期についてもう少し追加説明しておく必要があります。


第三期を代表する歌集には、新たに『燕麦』(吉川宏志)と『青雨記』(高木佳子)を加えたく思います。前者は関西在住の非・被災者がいかに震災・原発事故と真摯に向き合ったか、という記録でもあります。実は私は『燕麦』を、震災・原発事故関連であまり読むべきではない、とも考えています。ですけれども、おそらくは吉川の新たな代表歌である「天皇」の歌が収められていることもあり、印象がそちらばかりに傾いてしまうのではないのか、と残念に思っています。『燕麦』については、今年中にブログに十首選を出す予定です。


一方、後者は福島在住の歌人による優れた歌集です。原発事故のリアリティが一首ずつきちんと短歌に整えられています。陳腐なレベルの幻視などでは、到底つりあわない質量がありますし、機会詠の範疇を超えています。いうまでもなく、この歌集には「続き」があるからです。


以上、「逃げた者」「残るほかない者」「遠くにいるほかない者」の三様において、エッジが揃ったと考えます。多くの歌人は、「遠くにいるほかない者」の道をゆくしかないのですが、吉川は既に「実際に福島へ行く」「デモを行う」の二点の積極性を、彼の言葉で言うと「身体性」を、駆使した地点にいます。『燕麦』はハードルをとても上げてしまいました。第三期は、にぎやかになる一方ですし、2013年中は続くでしょうが、その実りにはもうあまり期待できないかもしれません。


ではここから本題に入ります。「第四期」は2013年にはもう完全に露わになるものと考えます。それは、「忘れていく/忘れられていく段階」です。福島第一原発廃炉には現時点で四十年かかる、とされています。しかし、事故直後に比べると排出している放射性物質の量は激減しています。もちろん、何を言っているのだまだ十分に高い、ともいえますし、地下水・海水汚染が実際にはどの程度か、も不明です。実はここで問題となるのは、「東京の人間があまり気に留めないでよい程度の状態にはなっている」ということです。もちろん、今後どう転ぶかは全くわかりません。とはいえ、ある程度の「平穏さ」は戻り、下手をすれば、「3.11前とあんまり何も変わっていない」と東京は言い出しかねないレベルで、2013年のありようが想像されうる、ということです。


しかし、福島は痛み続けるはずです。最初は切り札と考えられていた「除染」も、どうも思うようにはいかないようです。人口の多い中通りの空間放射線量も「健康には害がないレベル」とされていますが、関東圏に比べて高いレベルにあることは否定できません。また、福島のこどもの肥満率が全国最高レベルにあるとの報道が最近出ましたが*1、これはいい傾向とはとてもいえません。ちいさな、しかし「悪い」傾向の話題が積み重なっていく、じわじわと痛んでいく、そのようになるのではないかと考えます。そして、報道は減っていき、たまにしか思い出されない、そのようになるのではないかとも考えます。震災・原発災害詠の「第四期」では、まず量が減り、思い出されたように20首中に1首作られたりし、次第にそれすらも無くなる、という経過をたどるものと予想します。


これは「沖縄」ととてもよく似ています。おそらく、震災・原発災害詠は沖縄の基地問題の歌と相似形となるでしょう。なにひとつ終わっておらず、あきらかに苦しみ続けているひとびとがいて、それを高い意識で歌にする人間もいるが、結局のところマイノリティであり、事実上敬して遠ざけられ、まれに「評価」される。この予測はシビアだし、自虐的なような気もしますが、十分に起こり得ることです。


ここで結論です。2013年において、震災・原発詠は「沖縄」化を避けるべく歌うべきである、ということです。それがいったいどういうものなのか、考え続けて発表し続けなければなりませんが、それこそが私にとって必要とし渇望する「新しい歌」です。「新しい歌」とは、「形式」で達成されたり、生まれてくるものではなく、求める者にこそおそらくあたえられるのです。上手くいくかなんて、もちろんわかりませんが、その試みは「沖縄」の歌にもフィードバックされる可能性があります(「沖縄」化という言葉を用いましたが、沖縄を貶めているわけではありません。もしご気分を害されたかたがいらっしゃれば、お詫びいたします)。震災・原発詠は次のステップに行くべきです。