『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(村上春樹)

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年


ネタバレですので、ご注意を。







よろしいでしょうか。



  • あらすじ

多崎つくるは独身男性36歳団塊ジュニアの理系東京在住。
新しい彼女は謎の女で、つくるの学生時代の謎の事件の謎を解かなければ、
これ以上付き合えないと謎の強迫をする。
つくるは、実はその謎の事件で自殺寸前にまで追い詰められた過去があった。
心の奥底に封印していた謎の手がかりを求め、名古屋と、そして遠い外国まで古い友人を順繰りに、つくるは訪ねて行く。


探偵に謎の依頼があり、探偵は少しずつ探りを入れながら、結局長い旅をしていくことになり、
芋づる的に意外な過去があきらかにされて、おおいなる予感のもとに、探偵は傷つきながらもついには最期の試練に立ち向かう、
というのは、
黄金パターンであり、
本作は村上春樹なので、謎はおおむね主人公の精神だか夢だか、そういう「触れないもの」にまつわることで、
かつ、性的な話題が豊富で、饒舌で、語りがなんだか舌足らずで(「つくる」とか)、
そのへん全部ひっくるめて祭りを楽しみたい、という本。

  • 好感

つくるの造形は、個人的にはピンポイントで、身につまされるところがあり、難しいことを言う向きに対しては強く擁護したい。
リーダビリティは抜群に素晴らしく、単純に面白いし、単線的にかっちりしている感じは好み。

  • 不満

これ、例えばマーロウがプロトタイプなんだろう、と思うし、それはそれでかまわないのだが、
結末がはっきり不満。
物語のロジックとしては、
忠告を無視してしまったつくるは、最終的には、愛する彼女に捨てられる、はずなのだが(あるいは、べきなのだが)、
そこまでは描写されず、
しかも、「彼女と結ばれて幸せになりそう」な余韻をばらまいて、宙に浮かせているところが腹立たしい。
物語は永遠にペンディングされてしまうが、
現代とか現在に「必要」なのは、結論や結果、あるいは取り戻せない現実のあと、に
どう生きるか(あるいは死ぬか)だと思いますので、
逃げたのか?という気はする。
『長いお別れ』も、最後の対決が胸を打つわけですし。

  • 名古屋

この小説では、名古屋という街が、存分にディスられている。
その是非はおいておいて(ちょっと酷いかな、とは思うが)、
ここでは、なぜ名古屋は、こうも馬鹿にされるのか、を考えたい。


さくっと結論を述べると、
名古屋は古い街で、その古さがひとによってはネガティブだから、
というものになる。


現在の日本の都市で、人口100万以上の都市を見てみると*1
だいたい半分くらいは、明治維新前後には、存在すらしていなかった、ことがわかる。
川崎やさいたまはせいぜい形があった程度で、横浜札幌神戸なんて影すらなかった、はずだ。
福岡広島仙台は歴史のある街だが、残念ながら外様の首都であり、しかも維新では負け組だった(特に仙台)。
江戸はもちろん、京都大阪は幕府の直轄(かつ騒乱の地)であったから、
ここでは、名古屋のみが別枠の都市として浮上してくる。
尾張名古屋の徳川家はもちろん御三家であるが、紀伊徳川家との歴史的な因縁もあり、あるいは先見の明があったのか、
明治維新ではさっそうと新政府に付き、手下となってよく働いた。近くの桑名とはたいへんな違いである。これまたご近所で、史上の裏切り藩である津藩に近いかも。
つまり、名古屋の地元の権力構造は、維新で乱されることなく、よくも悪くも温存された。
これが私の思うところの名古屋の保守性の所以であり、肌に合わないひとにとっては、これは合うはずもない、と思う。
名古屋は巨大な田舎、というのは言いえて妙だ。田舎とは、長い間更新されていない土地のことである。