歌集『VSOP』(目黒哲朗)

歌集『VSOP』(目黒哲朗)は今月いただきました。
ありがとうございました。


10首選(〇は1首選)


少女とふ季(とき)は何時までまるまると太りたる猫かつぎて来たる
人類がマウンドに老ゆ野茂秀雄投手帽子を取つて汗拭く
ラジカセに電池を詰めてゐた夏の雨がもつとも激しかつたか
七月はあんず見上げてゐるわたしつひに変はらぬ何ものかある
さみしかつたあの日のあたりうすみどり電話ボックス灯れりあはれ
現実をつつめる雨音に濡れてプレイステーションを起動させゐる
〇電柱の真下で酔つて吐いてゐるわたしの胸の中の、水仙
「これはもうやられるわ」てふ物言ひの昼過ぎの雨雲は覆へり
 千葉響稀
夕食はおにぎり一個 さみしくて私も買つてきたことがある
自転車の鍵落としても拾つても詩のやうな三十代だつた
ほんたうは五月に生まれたかつたよ緑の木々にいくらでも雨

  • この歌集は構成が変則的なのだが、ひとまず「第一章」「ジュライ」「かんじる」「水無月讃歌」「あの子たち」「第四章」が良かった。
    • というのは、この歌集は、四章に分かれており、「第一章」には小見出しはほぼなく、「第三章」「第四章」には小見出しがなく、通常の歌集のような構成になっているのは「第二章」のみ、なのである。
    • 私は、この試みはたいへん面白いと思ったし、小見出しがなくても、読後感にゆるぎがないことを思うと、作者の力量が単純に高いのだと感じた(ふつう、こういうことをされると飽きる)。
  • 息子さんと娘さんの歌が多く、息子にはなにやら厳しく、娘にはなにやら甘いのは、父親の歌である。
  • 青春を終わらせる部分と、父親である部分が、バランスある混じり方をしており、そこは魅力的。素直。歌壇で父の歌特集があったけども、間に合えばよかったのにな、と思った。
  • 問題となるのは第三章。東日本大震災津波の被災にあった児童の作文に想を取り、児童の文章を一部引用したりしている、という。発想の原点となった児童の名が詞書になっている。
    • 工夫としては、漢字表記の「私」が「目黒自身」とのこと。よって、多くの「無名」の児童の言葉をイタコ的に操りつつ片言隻句を歌に仕上げて、私、がちょくちょく登場する。
    • 面白い試みであることは認める。また、児童の被災の言葉の「かけら」には、ある種の衝撃力があるのも認める。
    • ただし、第三章全体としてみると、歌が弱い。未完成なものがたくさんあり、また、その由来が他者の言葉であり、語られているものが震災である、と三段階を踏めば、私の結論は「否定」ということになる。
  • ただ、いい歌はたくさんあり、それは(私の主観において、だが)良くはない第三章のチャレンジをカバーしてあまりある。良い歌集であり、問題作である。