『曳舟』(吉川宏志)曳船―吉川宏志歌集 (塔21世紀叢書 第 80篇)作者: 吉川宏志出版社/メーカー: 短歌研究社発売日: 2006/03メディア: 単行本この商品を含むブログ (1件) を見る


十首選


紙のいろ黄なる本なりこの町の人々死ねばコーランが遺る
才能は過ぎ去るものを 「才能を愛す」と書きしクララ・シューマン
ことことと音するごとし仏壇のなかの小さな金の欄干
髭のなき教団として生き延びる白衣の群れにまじりゆくのか
声にならず地面に落ちし怒りありどくだみの葉が錆びているなり
秋雨に目鼻おぼろになりながら仏はやがてこの石を去る
桜花しろく積もれる地面より庚申講の石碑突き出る
はくれんの無数の花を見ておれば白き階段そこにある如
ああ首相、詫びてください。鳩のごと目を赤くして群らがり来るも
あじさいの葉をちぎりつつ夕闇に光る石油に浮かべて待てり


先月にいただきました。ありがとうございました。


この歌集は二部にわかれており、第一部のピークはオウムに留まっているかつての友人を歌った一連に、
第二部のピークは「靖国神社を焼く」という幻想を詠んだ一連にあると判断できます。
さらりと読み流せない歌が目立つといえますが、特に、第二部を不穏にしているものに、
この幻想が抽象へと逃げ出さない点があるといえます。
引用第十首目は、火を放つチャンスを幻視したものですが、具体的な描写から離れません。
美しすぎてあるはずのない情景ですが、それでも「美しい抽象」ではありません。
かつての思想詠は、キケンな部分を抽象で誤魔化してみたり、
あるいは対立するような、しかしながらもはや既に出来合いの思想に乗っかってみたりしていたものです。
もはや無効であるがそれゆえに安全なその種の歌や発想に、
はっきりと決別しつつ歌を壊さない力量を凄いと思います。


もうひとつ、吉川さんの歌の特徴に、細部を描写しておきながら叙情がせせこましくならないことがあります。
引用第八首目がその顕著な例で、助詞ひとつに立ち止まって鑑賞すべき歌だと考えます。
吉川さんの歌を読むさい論ずるさいには、
「はくれん」と「あじさい」、どちらも避けられないことが難しい(そして楽しい)ところです。