『バグダッド燃ゆ』(岡野弘彦)


バグダッド燃ゆ―岡野弘彦歌集

バグダッド燃ゆ―岡野弘彦歌集


十首選


石碑(いしぶみ)に苔むす文字をたどりゆき ふつふつと 心 たぎりくるなり
焼けこげて 桜の下にならび臥す 骸(むくろ)のにほふまでを見とげつ
これよりは道絶えはてて無しとしるす 結界の石 越えて歩みき
わが命 八十(やそ)の齢に入りゆかむ。水木の花のおとろふる夏
吉備を過ぎ 伯耆に入りて暮るる峡。またたびの葉は白じろと揺る
まぎれ入る 浦和レッズの旗のもと おのづから身に歌わきあがる
雪ふかき 睦月の森にこだませり。新(にひ)年をほぐ 父のかしわ手
風あらき 行逢坂のたそがれに 面伏せてひとり行くは 誰が妻
あたたかくつつみ育(はぐく)む 女(め)の器(うつは)。 か寄り かく寄り 冥(くら)くただよふ
わが命生ましし母よ。乳(ち)も保登も ほほけゆだねて かなしきろかも


『いま、社会詠は』をもう少し考えるために読んでみました。
以下、雑感。

  • ここに記されているように*1ある立場のあるハイ・スペックな人物の歌であるので、身構える部分はあった。
  • 歌の形式として、全編にわたる一字開けの多用、句点の多用は特徴的。句点はともかく、一字開けはあまり成功していないのではないか。一字開けは韻律を殺しすぎているように思う。
  • イラク戦争関係の歌について。戦中派、「むざむざと生き残った」という意識、神道へのアフィニティなどの条件を考えると、ブッシュを憎みイラクの人々に肩入れをしつつ敗戦間近の業火の東京とバグダッドを重ねるという発想は、妥当というべきだろう。全体の表現はむしろ穏当すぎるというべきかもしれない。
    • 認識が素朴すぎる、というのは可能な批判であるだろうが、効果はあまりないのではないか。なぜなら、その素朴さこそが歌に力を与えているからである。素朴を稚拙と非難しがたいとき、できることはあまりない。
    • ただ、「いい歌」というのはあまりないように思った。
  • ありがちな話ではあるが、バグダッド関係の話は全体の三分の一もない。まあ、人は本を見たいようにしか見ない。
  • その「残り」には、おおざっぱにいうと現代日本を憂える歌と日本神話的なモチーフで作られた歌が目立つ。前者に関しては、バグダッド関係の歌と比較してしまうこともあり、水準をあまり超えていないように思う。後者に関しては、語彙がかなり異質で雰囲気はかなりある。個人的には母を歌った「怨愛 尽くる時なし」が良かった。
  • 広い意味での「思想詠」が多く、やや疲れた。レッズの歌(これもある「視線」ゆえかもしれないが)などはその意味で意表をつかれた。


以上です。