『きことわ』&『苦役列車』

文藝春秋2011・3を購入。当然、芥川賞掲載号だからであり、
それ以外にこの雑誌の存在理由は存在しない。
くだらん駄文*1を連ねるばかりの馬鹿な雑誌であるが、
芥川賞受賞作掲載号だけは買い続ける所存。


・『きことわ』(朝吹真理子)


貴子と永遠子がダブル主人公の小説。永遠子が七つ貴子より年上。
80年代とそれから四半世紀(25年)経過後の貴子と永遠子のストーリーがカップリングする。
非常に引き出しが多く、どの引き出しを開けるのかというセンスも抜群。
一例を挙げれば、永遠子が子を産み育児をしているエピソードのさいに
段落を変える文章が
「その夜は、うすく靄がかかったように銀河が見えていた。」と「しし座流星群」へと持っていくところなど。
歳差運動などの前フリはあるにせよ、切り替えがもの凄く上手い。
圧倒的な教養のレベルを感じる。
文学者一族、慶應院生、若い美人、など役満をそろえた上の
この小説である。
凄いねーとしかいいようがない。


・『苦役列車』(西村賢太)


19歳のダメ男が主人公。主人公の父は性犯罪で逮捕されており、
その体験が主人公の未来にどす黒い影を落としている。
主人公はダメな上に人好きもせず、死んだ方がいいレベルの人間として描かれる。
それでも彼は自慰に頼り風俗に通いつつ生きている。
唯一できた友人との関係も破綻し、親にたかってカネをせびり、
日雇い仕事を続ける旨が描写された時点で小説は終わる。


率直にいって下手であり、なんの感慨も浮かばない。
彼が芥川賞を獲ったのは、バランス感覚とルサンチマンの故でありましょう。
作者の西村は四十代である。私のような三十代の人間にとっては
ダメ人間とはネットにこびりついている連中のことであり、
たとえ日雇い仕事とはいえ世間にでている人間というのは
その時点で優れた存在である。
下には下がある。
このようなルサンチマン文学には、同様の立場の人間を救済するという
役割があるのであろうが、その意味でもこの小説には未来はない。


というわけで、この小説は、選者のノスタルジーを誘ったに過ぎないのであろうと思う次第である。


文藝春秋 2011年 03月号 [雑誌]

文藝春秋 2011年 03月号 [雑誌]

*1:抗ガン剤は効かない、とかガン患者の家族に文章を書かせたりするアレ