半年後の話

今日で地震から半年が経ったので、つらつら思うところを述べる。

  • 原発災害について
    • 日本人は、戦争でも天災でも、忘れることで前進してきたが、今回ばかりは無理。
    • 炉は溶け落ちて回収不能、封じ込めも手付かず、現状維持のための冷却システムの一時確立に数ヶ月要した。
    • 海洋への流出を無視しつつ、比較的安定な「殻」を作るまで、現状の幸運が続くか、どうか。これまで放出された放射性物質はせいぜい一割強。残りは不安定な状態で、どうなっているかわからない。水をかけて冷やすしかない。数年単位の見込みはつくかもしれないが、十年以上ののちは?誰もわからない。
    • なんにせよ、猛烈な規模の資金・人材を数年-数十年は投入しなければならない。70年代の公害は環境庁を作ったが、今回の災害は原発災害庁を作って当然の出来事。
  • 地震復興について
    • 基本、遅い。やる気が感じられない。元々、生産能力の低い地方であるからといって、手を抜きすぎ。過疎化に拍車がかかる。漁業も農業も厳しい。
    • 原発災害と政府の対応と、その他もろもろ考え合わせると、被災三県、特に福島が浮かび上がることは、おそらく十年単位でない。官僚的判断は、この地域をできるだけ放置しておく、というものであろう。なぜなら、コストが最もかからないから。あるいは、面倒だから。
  • 社会情勢について
    • 反韓デモは地震と無関係ではない。こういったレイシズムが力を持つのはマズイ事態だと歴史が教えている。米国以外の文化が圧力をもって侵入する可能性は今後も高い。受け入れる日本に「余裕」はもうない。深刻な事態はおそらくおこる。
    • 原発運用が核抑止力の一種である、と讀賣が断言した*1。タテマエ論でいけば、讀賣はボコボコにされなければならない。でも、そんなことにはならない。もう、皆、北朝鮮を見て知っているからである。ウソで塗り固めた御託はもういらない。われわれの国、日本国は大量のプルトニウムを保持し、戦略核・戦術核をともに短期間で生産する能力を有し、運用規模的には世界トップ10に入る軍隊のもと、核を運用する能力をも潜在的に確保している。もし、日本人の総意として、原発を停めようとするのならば、この議論は避けて通れない。というか、かならず誘導される。すなわち、核武装するのか、否か、と。無論、これは極端な言上げだが、これに対して「上手い回答」を用意できない人物や政治家に任をまかすのは避けたいところではある。要するに、現状維持すら、大変だ、ということである。