塔11月号


特集は全国大会報告。対談「<読み>の冒険」が面白い。


ちょっと書いておきたいのは、


わたしは別におしゃれではなく写メールで地元を撮ったりして暮らしてる (永井祐)


という歌が「切実か」どうかという話があって、
対談者のお二人はこの読みには否定的なのであるけれども、
これはある種の切実さが伴った歌であるという読みに私は賛成です。
まあ、世代の違いなのですかね。
地元に住むということは、閉塞感と妥協してほどほどに生きる、という
人生の受容であり、そのフラットな表明であります。
このことが切実さを伴わないはずがない。


しかしもしかしたら、問題はこれが東京ならそうではないのか、
というところにあるのかもしれない。
実は東京でもある特権的な地点しか非・地元性を維持できてはいないと思われます。
だからこそ、秋葉原で無差別殺人がおこる。
この歌ははしつこいまでに「地元」という言葉を強調する構造をとらされているけれども、
表現として甘い上句の過剰性に満腹感を感じた後でもあまり否定する気になれないのは、
地元という言葉から連鎖してくる「時代の絶望感」そのものに
私が先に反応してしまっているからかもしれない。
私は、永井さんというかたは、戦略的にロスジェネのステロタイプであろうとしているのではないかと
常々思っているのですが、どうでしょうか。
これは、社会詠なのです。